第11話:大阪での仕事

 大阪支店では28歳から31歳まで約4年間働きます。

 

 私の一番大きな得意先である酒屋さん(というか食品センター)は大阪の

 中央市場のそばにあった為、その中央市場に食材などを買いにくる飲食店の

 人を対象にしており、そんな理由で朝の6時から17時までがお店があいている時間でした。

 「朝売り」といって、我々メーカーはそんな飲食店オーナーに対して、朝の

 6時からそのお店の前に日本酒を並べて試飲販売をします。

 我々の会社以外にいろんなメーカーさんが実施するので、我々の順番は

 何か月に1回の実施となっていたのですが、非常にありがたい事に年末の

 一番売れる時期に限っては当社限定でその「朝売り」をやらせてもらっていました。

 ですので、私は大阪支店にいる時は、12月29日に会社の年末で業務が終わる

 と、12月30日、31日は、こちらの店の前で日本酒を売り、12月31日の17時に

 無事、その年の仕事が終わる。というサイクルで働いていました。

 

 朝の6時には(当時住んでいた)西宮から大阪の生野に到着しておかなければ

 ならないので、前日から営業車を家の近くで路駐(当時はOK)しておき、朝の

 5時に起きて高速を超高速でぶっ飛ばして到着させていました。

 冬に車に乗ろうとすると、大抵フロントガラスが凍結しています。

 とっとと家を出発しないと6時には間に合いません。

 車のウォッシュをかけるどころではフロントガラスの氷は融かないのです。

 そんな時はどうするといいと思います?

 

 そういう時は近くの自販機でHOTのお茶を買って融かすといいと学びました。

 瞬殺ですな。

 

 酔っぱらって電車の線路に落ちたのもこの頃です。

 その年は、得意先の卸が合併をして営業マンが倍くらいに増えていらして、

 その会社の新年会に参加した時に、返杯の数がいつもの倍であったため、

 お店を出たらふらふらでそっから記憶がなくなっていました。

 激痛で気が付いたら、線路の上に落ちていました。

 酔っていたので、自力でプラットフォームまで上がる事ができず、二人の人

 に引き上げてもらいました。

 今考えると、ちょっとゾッとします。。。

 それからは記憶がなくなるまでお酒を飲むことはなくなりました。

 

 (返杯とは、お猪口に注いだお酒を返していただくこと。全員注ぎにまわ

 る必要があり、全員からお酒を返して飲む必要があります。)

 

(次号につづく。。。)