第10話:大阪支店への転勤の巻

 23歳から4年間の長崎赴任を終え、大阪支店に事例が出た為、大阪に戻って来ました。

 毎年、会社からの転勤希望地調査では「札幌支店」と書き続けましたが

 結局なんの参考にもならずに大阪へ転勤になりました。

 ここで約4年間務め、酒造メーカーを退職する事になります。

 

 ここでの私の得意先になる大阪の地場の卸屋さんの方々は個性的な人が多く非常に苦労しました。

 みな40代とかの年上の人ばかりで且つ、くせが強かった為、苦手でした。

 「神戸の人間は商売が下手やなあ」とか普通に私に対する苦言などを浴びせられていました。

 ある日、支店長に

 「私の得意先は年上ばっかりで仕事が上手に出来ないので配置を転換して

 ほしい」とお願いすると

 「取引をしている向こうの人は、こちらの年齢に応じてその量を決めている

 訳ではないので、年齢は関係ない」とばっさりやられました。

 確かにその通りだなあと思いました。

 

 大阪は大阪で、私にとってたくさんの勉強になりました。

 上司である支店長からは「1つ上の役職の仕事をしなさい」と教わりました。

 先輩の課長からは、「給料分以上の仕事したら損やで」と教わりました。

 そんなシニカルな課長も、私の在任中に転勤を経て支店長で再び大阪支店に

 戻って来た時にはすっかり言う事が変わっていて、

 「もっとしっかり売ってこい」とか言う人になっていました。

 立場が変われば言う事も変わるんだなあ と学びましたが、まあそんなもん

 だわな。と思って妙に納得していました。

 

 支店長には非常にかわいがってもらったのですが、営業の数字に関しては

 厳しい人でした。(まあ全ての支店長がそうだったのですが。)

 毎月、数字の達成が困難な予算の立て方だったのですが、

 ある月の25日くらいになって、

 「支店長、今月の数字の達成が厳しい状況です」って相談したら、

 「25日にもなってそんなん言われてもどないもこないもならへんがな」

 って怒られました。(↑↑一言一句そのままです)

 

 ですので、また別の月の15日くらいに、

 「支店長、今月の数字の達成が厳しい状況です」って相談したら、

 「まだ15日もあるやないか!売ってこい!」

 って怒られました。

 

 まあ、何日に相談しても結局怒られるんやなあ。ってこれも大体想像通り

 な感じでした。