第5話:大学から就職へ

 1歳下に弟がいるので浪人ができなかった私は、大学を7つ受けたのですが、

 唯一合格した神戸学院大学に進学しました。

 「法学部法律学科」

 全然興味がありませんでしたし、今も興味ないです。

 お金がもったいなかったので法律の聖書である「六法全書」を買わずにどこ

 までいけるか試していたら、結局卒業までいけました。

 ゼミも必須教科ではなかったので単位取れてません。

 フラフラした硬派な大学生でした。

 

 大学卒業時に、なんとなく末広マネキンを継ぐつもりでいた4回生の春先に

 急に親父に

 「会社は継がされへんで。俺もまだ働くし」

 と言われ、

 「ぎええええええ!就職探さんとあかんがなああ!!」

 って、なって、大学の就職課に行ってぺらっとめくった資料の1枚目の会社

 こそ、その後新卒で就職する日本酒メーカーでした。

 

 当時、世の中を甘く見ていた私は、就職できなければ料理の専門学校でも

 行ったらいいか。とか、考えていました。

 就職活動もいい加減で、途中で説明会に行くのやめたりしていました。

 結局、内定が出たのは神戸のかまぼこやさんとその日本酒メーカーの2社で、

 就職先を決める前にかまぼこやの人に話を聞くと、卸市場相手の仕事なので

 朝3時から出勤とかもあるらしく、「無理無理」って思って、日本酒の方にし

 ましたが、結局そっちもそっちで、朝の3時まで仕事で飲まされたりしてて

 世の中の厳しさを思い知らされました。

 日本酒メーカーに入社の際には、「お酒が飲めないのですが、仕事できますか?」

 と聞いたら

 「お酒は飲むもんではなく、売るもんだ」みたいな事言われて入ったのです

 が、当然のように飲まされました。

 

 入社1年目は準備期間のようなもんで、本社の食品飲料部みたいな所で仕事

 をしていたのですが、2年目から即戦力とか言われて、長崎に転勤で飛ばさ

 れてしまいました。

 あんまり知られていませんが、当時長崎では有名な銘柄でした。

 (ちなみに北海道では日本酒のシェア1位でした)

 

 長崎に行って、一人暮らしを始めて、ある日得意先の営業さんの新築祝いに

 お呼ばれをして、日本酒をめっちゃ飲んで(飲まされて)、気づいたら翌朝

 にその家で寝ていた時には、「ああ、おれこの業界は無理やわ」って思いま

 した。酔いつぶれて表の道路で寝ていた所を担がれたそうです。

 結局、その日本酒メーカーに10年弱もいる事になるのですが。。。

 

(次号につづく。。。)