余談。
私は親父の事を仕事中では「社長」と呼んでいました。
和装着物の得意先の大きな展示会がある時には、1晩4時間くらいかけてや
る設営や撤去で人数が必要なので、20~30名の友達をよんでました。
私がちょうど20歳前後の頃。まだ阪神大震災前で景気もよかった頃です。
人数が足りないので、友達の友達を呼んでどんどん広がっていましたが、
何回かそんな事をやっていたら、友達もみんなうちの親父に対して「社長」
と呼ぶようになっていました。
今でも「社長元気?」って聞かれたりします。
先月からの続き。
「ん?社長、なんかちょっと違うくないですか?」
なのですが、親父は人に仕事を任せるのが苦手だったのです。
車の運転も人にさせないですし、仕事も長い事やってたら段取りくらい分か
るのですが、いちいち指示を出してくるのです。
「ちょっとは任せてほっといてくれよ。」
私も若かったので、そんな事思いイライラしながら仕事していました。
まあ、精神的には私は若い頃からこんな落ち着いた感じの性格でしたので、
喧嘩になるような事はなかったです。
あ、そういう意味では私には反抗期なるものが無く、素直に親の言う事を聞
くいい子供でした。
うちの親もそこまで理不尽な事言うてませんでしたしねえ。
人に何かを任せる。むしろほったらかしにするような今の私の性格は、この
ような若い頃のエピソードに起因しているような気がしてならないのです。
子供の頃から繋がる今の性格といえば、幼少の頃に通っていた教会も何かそ
ういうものがあるのではないかと考えています。
幼稚園~小学校の低学年まで日曜の朝に礼拝に行っていました。
我が家は浄土真宗。いわゆるバリバリの仏教徒なのですが、家の隣が教会だ
ったのと、教会の息子が同級生だったので自然と行きだしたような感じです。
その教会はプロテスタントで、牧師さんもかなり自由な牧師さんでした。
(「神父さん」はカトリック教会での呼び名って知ってました?)
牧師さんと言っても友達のお父さんなのですが、よく酔っ払って居酒屋であ
ばれて地元では有名人になっていました。
近所の神社の南にある居酒屋を出入り禁止になったとか、
酔っ払って線路で寝ていた所を近くの歯科医の先生が助けにいったら、
「わしはもう死んでもええんや!」って言って動かなかったのをひきづって
助けたとか、その話をその友達のお母さんがその歯科医に歯の治療に行く度に
先生に聞かされて、「もういやや」って言うてるって話とかを聞いては、笑っ
ていました。
友達のお母さんは教会で英語教室をやっていたのでそこにも行ってました。
この家族はみな、私の事を「まさのぶちゃん」と言います。
私はその友達の事を「しんやちゃん」と呼んでます。
今でも飲みに行くとしんやちゃんには、「まさのぶちゃん」と呼ばれます。
そんなすごく人間的な教会でしたが、ここで私は「道徳的な事」や「差別の
ない世界」を学びました。
「味の素は石油からできている」とか「コーラを飲んだら骨がとける」
みたいな、迷信も同時に教えられ、子供心に何が正しいんだか少し混乱しか
けた事もありましたが、そこは学校や友達や両親とかとは何か違う価値観を
学んだ場所であったような気がします。
かっこたる正義みたいな気が充満していた感じでしょうか。
やがてその「正義」のようなものも社会に出れば、全てが全て通用する訳で
はない事に気がつきはじめ、さらに考えを深くさせてくれました。
(次号につづく。。。)