第3話:安定経営の道

 父信夫は、自分の家族と亡くなった兄の家族の2世帯、それに自らの母の生

 活をみなければならなくなります。

 もともと安定志向が強い信夫は、無理をせず、思い切ったチャレンジもせず

 ひたすら末広マネキンを安定経営路線へと走らせます。

 信夫の安定志向の強さを紹介するならば、例えば外食とかも何か新しい店に

 チャレンジしようとせず、決まった店しか行きません。

 洋食なら「マルヤ」、うどんなら「扇矢」、お好み焼きなら「もり家」と

 兎に角同じ店ばっかり行き続けます。

 ビールもキリンビール。酎ハイも宝缶チューハイのレモン!!

 

 話を戻します。

 おりしも、日本は昭和50年~60年にさしかかっており、高度経済成長期は過

 ぎたけれども成熟期へ向けなだらかに右肩あがりに成長しつづけている時代

 でした。

 当時は、従業員も2名で通常の配達を行い、催事がある時にはアルバイトを

 数名手配しながら仕事をこなしていました。

 結局、末広マネキンはそこから大きく売上があがる事もなく、かといって売

 上が大きくさがる事もなく、昨年会社を閉じるまでずーっと安定した運営を

 し続けます。

 時を同じくして、ライバルのディスプレイ会社はどんどんと成長していきま

 すが意に介さず。

 

 たしかに信夫の性格による部分もあったかと思いますが、家族を養わなけれ

 ばならないといった背景も同時に大きく作用したように思います。

 危険な橋を渡らず、間違いのない同じ事を繰り返す日々。

 気付けば、2名いた従業員もいなくなっていました。

 

 

 私、正信の話に話を移します。

 そんな我が家、岩田家には小遣い制度がありませんでした。

 必要なら渡す。それ以外にお金がほしければ家の手伝いをしろ。という事で

 小学校の終わりくらいから息子の正信はマネキンのアルバイトをしはじめま

 す。

 配達の車(バン)にのって、ディスプレイの配達の手伝い、集金の手伝い、

 ワゴンのペンキ塗り、ハンガーラックのシールはがし、車のワックスがけ

 などなど。。。

 

 結構ながい時間、親父につきそい仕事の手伝いをし続けてきた正信は、物心

 ついた頃からなんとも言えない違和感のようなものに気づきはじめます。。

 「ん?社長、なんかちょっと違うくないですか?」

 

 次号からはついに息子「正信」が登場します。幼少期~学生編です。

 (次号につづく。。。)