●第14話:さらば酒造メーカー編

酒造メーカーは31歳の歳の年末、12月31日付けで退職しました。
退職のきっかけは、社内でついに指名解雇がはじまった事でした。
これはいよいよ長くは持たないな。と確信しました。
業績の悪い会社というものは社内にいてもその雰囲気で分かるもので、普通
は何か特別な理由がなければ会社は指名解雇なんかしませんし。
しかし、指名された人達もつながりのある会社を転職先として紹介されてて
転職の機会も与えられていたので、ある意味そんなに悲壮感もなかったのか
も知れません。

いざ私の退職が発表されると色んな人が慰留や送別をしてくれました。
慰留してくれた人達は、会社が倒産するなどとみじんも思っていないようで
した。数十年も勤めている会社がそんなに簡単に倒産するなど、イメージで
きなかったのだと思います。
結局、私が退社した翌年の年末に民事再生を受ける事になります。

私にとっていろんな事を勉強できた9年間でした。
その中でも大きな学びは、「斜陽産業で働くとしんどい」という事でした。
その次に入社したIT会社と比較して(えらい転身)すごくよく感じたのです
が、斜陽産業ではどんなにがんばってもがんばっても前年を割れるのです。
これはもう個人の力ではどうする事もできない、精神論とかではない世界
だと気付きました。
(それゆえ、獺祭は本当にすごいなあ、と思います。)

もう一つは、「会社はゴーイングコンサーンが最も大事」という事です。
意味は会社が倒産や廃業をしないように、半永久的に継続していくこと。
です。(ウィキペディア参照)
倒産してしまったら9年間の努力が全て「無」になってしまうのです。
私だけではありません。
全社員の営業や製造や物流や、その全てが「無」になってしますのです。
昔を懐かしむにも、蔵も本社ビルも全てなくなってしまって、今ではその
跡地しか残っていないのです。
その跡地にできたマンションを見た時、想像以上に寂しい感情が沸いてきました。

最後に、以前話をしたかもしれませんがゴルフでの話をします。

当時の大口の得意先の酒屋さん8社を石川県の金沢に1泊2日の旅行にお連れ
するという接待旅行がありまして、私がそのアテンドとして一緒について
行ったのですが、日程にあったゴルフにお客さんをお連れした際、
ゴルフのスタート前に、得意先の一番偉い会長さんに
「寒いなあ」と言われました。
「はい、寒いですねえ」と私が返答するともう一度
「寒いなあ」と言われました。
なぜ、同じ事を2回も言うのか非常に不思議に思い、後でその話を支店長に
すると、
「あほやなあ、それはお前に携帯カイロを買ってこい。って言う事やないか」
と教えてもらいました。つーか、叱られました。
とても勉強になりました。と同時に、接待の道は非常に険しいなあ。と思いました。